今から9年前の話である、おじいちゃんやおばあちゃんに可愛がって育てられていたその子は当時2歳であった。「ご飯をたくさん食べて丈夫な子になって欲しい」と願いを込めて、好きなものをたくさん食べさせて、と考えていた。
その女の子は将来お酒のみになる素質があるのか、おじいちゃんが食べさせた「イカの塩辛」がいたく気に入った。細かく刻んだ塩辛をご飯の上にのっけて、お茶漬けにしてやると、お代りをして食べた。祖父母にしてみれば、与えたご飯を沢山食べてくれる孫はこの上もない宝物で、自慢したくなった。
近所にそのことを自慢して回っていた。あるおばさんから、「そらいかんわ!!女の子がイカの塩辛を食べると、◯◯◯が、臭くなるちゃが」と聞かされた。その後、食べさせないようにした。
「秋なすは嫁に食わすな。」秋の茄子はおいしいから、嫁なぞに食わせないぞと言う姑の嫁いびりとして一般に知られているが、他の説によると、茄子は体温を奪う作用があると信じられており、健康を考えての事というもの。
また、茄子は種が少ないため、子どもが出来なくなることを連想した言い伝えともある。
何も茄子だけではない、「カマス」も「サバ」も「タコ」も嫁に食わせない物になっている。
茄子をどれだけ食べれば健康に害をもたらすくらいに、体温が冷えるのか?岩田帯は伊達じゃないのだが。妊婦用の腹帯をはずして、クーラーを掛けっぱなしの車で買い物とどちらが健康なのでしょう。
子育てに関わる迷信は多い。
日本てんかん協会宮崎支部から、講演会の案内状が届いたので、待合室のテーブルに置いておいた。それを見た50歳の男性が、「これは大変じゃろねー」という。何のことかといぶかって尋ねてみると、「てんかんの人の息が掛ると、うつるっちゃろ」というのである。
その人が上げる実例は、店で発作を起こして倒れた人がいた。倒れたとたん、周りの人がサットよけて、逃げた。学校でてんかんの同級生がいたが、その子が倒れると、先生は顔を外側に向けて抱え上げた。日頃からその子には、正面からでなく、横から話し掛けていた。ということである。
我々も講演会でお話をする機会が多いが、こんな話を聞くとぞ〜〜っと寒気がしてくる。てんかんは脳の障害で起こり、その症状や治療法、日頃気をつけておかねばならない点などについては十分お話をして来たつもりである。でも、周知の事として、伝染性の病気であるかないかの話はしていないことに気がついた。このようなことを信じている人が、てんかんは脳の障害という話を聞いたら、とたんに「うつったら大変だ」と増々ガードを固くするに違いない。発作を起こした人は、野放しにされる事態が起こるだろう。それでも、社会の無責任と言えないのではないだろうか。
勿論言うまでもなく、伝染病ではないのである。これからお話をするチャンスがあったら、このことも踏まえて啓蒙して行かなければならないなーと記銘したことであった。
H11年9月8日、テレビでは、包丁や金槌を持った若い男が、東京は池袋の繁華街で、通行人を次々に刺し、死者2名、けが人多数と報道していた。
このような事件が報道されると、一般の人が考えることは決まって、「何でそんげな事をするちゃろかい?」と、その動機を考えてみる。ところが、普段の日常生活を普通にやっている一般人にとっては、その動機は、正常思考の道筋の上には出てこない。そして、今行っている日常行動が正常と思っているから、その、正常思考の外にはみだしたものは、異常というレッテルを張ってしまう。その上で、こんな異常行動をする人だから、「精神異常」だろうと簡単に考えてしまうのである。
幸いにして、これまでの報道の中で、精神異常とか精神病院の通院歴の有無についての報道はない。人権を考えての事であろう。
でも、もし、この犯人が、仕事がなくてイライラする気分を静めようと思って、もし、精神病院に受診し、投薬を受けたにも関わらず、まだ精神状態が静まらない内に犯行に及んでいるのだったとしたら・・・。精神病院に治療歴があるというだけで、その報道がなされただけで、世間は「やっぱり、精神病者だ!!」と決めつけてしまわないだろうか。
パチンコに行って玉が出ないからといって、台を叩いたり、気に食わないことがあると、腹が立ったり、怒りの感情がそのまま、行動に出ることは、誰でもあること。となると、正常と異常は何処で分かれるのだろう。犯罪になる行動を起こせば異常なのだろうか?・・・都会に行くと痴漢が多いとか。万引きも多い犯罪だ。軽い犯罪と考えるかどうかは別として、犯罪を犯すものは、みな精神異常とする考えが如何に当てはまらないかということなのである。
喧嘩をして、「この野郎、殺してやろうか」と一時的に思うのは、正常な心の変化なのだろうか。なんの関わりもなく、ただ通り会わせただけの、今度の犯人に殺された人たちの家族が、どんな手段をとっても、犯人に仕返しをしてやりたいという心情が生まれたとしたら、これは自然の成りゆきで、同情に値するから正常と考えるのが常識なのだろうか、そうではないのだろうか???。
こころの問題とひとくちに言い、困っている人に助言を与え、ほっとさせてやるだけが心の問題の解決ではない。社会にも、集団の人々にも心がある。群集心理というやつである。政治のため、民族のためなら、他の人は犠牲にしても良いと言った考え方は正常なのだろうか?
こころして考えてみたいものである。
平成11年9月9日 ハーテイークリニック
富 田 精 一 郎
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